江戸末期から大正にかけての激動の時代を生き抜いた無学大師は、釈尊の初転法輪以来、多くの高僧や智者、各宗派の開基をもってしても説くことのできなかった、在家成道の行法「妙法蓮華教菩薩法佛所護念」の『微妙の法門』を初めて説き示された方であり、在家主義の祖でもあります。
晩年の大正7年には、社会の矛盾や道徳の退廃に満ちる国家の現状を憂い、告白書を政府当局、各府県知事、貴族・衆議両院の政府要人に献呈。『救国』のためには「全ての日本人は“生・院・徳”の法名を迎えて、朝夕に礼拝し、六根清浄によって今日の濁悪世の人心の腐敗を根本的に洗浄すべし」として、法制化すべきであると迫ったのです。まさにこれは、日蓮聖人が法華経によって国家の窮状を救う念願のもと『立正安国論』を唱えて、鎌倉幕府に進言した時の再来を思わせるものでした。