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■齋藤両祖師[さいとう りょう そし]

・齋藤豊吉師(初代総裁・華徳法師)/明治39年〜昭和54年
・齋藤千代師(二代総裁)/大正4年〜平成20年
 宗祖両祖師は、昭和19年4月8日の立教開宗以来、先祖供養を基とした法華経の実践をめざし、一人ひとりと向き合う地道で真摯な布教活動を行ってまいりました。
 昭和25年には、無学大師の正統継承者と認められ、「教菩薩法佛所護念」の法嗣の『証』を基に、衆生済度の請願を持った同志とともに、法華経の行践流布者「法師」の育成を目的とした、現・宗教法人『法師宗』を創立いたしました。
 両師はその後、生活のなかに生きた法華経の行践を通して、教理と行法の一体化を実現し、広宣流布に努められました。



■常不軽無学大師[じょうふきょう むがく だいし]

・西田無学老師/嘉永3年〜大正7年
 無学大師の功績はなんといっても、真の意味での大乗仏教を確立されたことにありましょう。
 それまでの大乗仏教は、“一般の生活のなかで悟りを求めるもの”としながらも、実は、民衆よりも一段高い位置にあり、出家してはじめて修行することができるものでした。
 無学大師は、一般民衆のものとして在家主義を確立し、広く寛容に、御仏の道へと至る道を照らしてくださりました。
 また、ほかにも、独自の先祖供養の勧行経典を撰述なさったことが挙げられます。これは、大師の長男である故・沙門法延師(延吉師)が和訳した、開教「無量義経」と、結経「佛説観普賢菩薩行法経」の主要部分に、観請文、回向唱、祈願唱を加えて、完成させたもので、先祖の霊に対して、法華経をもって供養することが子孫の努めと説かれたのです。
 しかし、この思想と信念を広宣流布されるまでには至らず、大正7年10月31日、横浜で遷化されました。



■法教正学恩師[ほうきょう しょうがく おんし]

・増子正学師(本名・増子酉治/福島県三春町出身)/明治18年〜昭和54年
 法教正学恩師は、無学大師随一の高弟で、「正学」の名を許され、大師の教えのすべてを継承された方です。
 無学大師が開示した「生・院・徳」の法名、総戒名、霊鑑(過去帳)は、正学恩師を縁にして、日本国内に最初の広まりをみせました。しかし、その急激な流布に対し、正学恩師は、意義が形骸化してしまうことを危惧されていました。
 そこで本宗初版経典の編集にあたっては、凡例において「玄旨に悖る曲説分派の所行に覚醒を促し、専ら正系有縁求道の士をして要路に迷う事なからしめ、正信経行、進んで父母所生の即身に、疾く慈悲円満平等大慧佛所護念の妙法を、證得せられんことを切願し発刊するものなり。」と明記し、形骸化に覚醒を促し、妙法を会得することを願い、発刊すると明言されました。
 正学恩師の正法護持の信念と遺言遂行の決意によって、釈尊の初転法輪以来、無学大師によって初めて説き明かされた在家成道の行法が途絶えることなく、本宗に承継され、正しく実践されています。その護持の業績はたいへんに偉大なものです。



■法華三部経[ほっけ さんぶきょう]

・無量義経
[むりょうぎきょう]

・妙法蓮華経
[みょうほうれんげきょう]

・佛説観普賢菩薩行法経
[ぶっせつかん ふげんぼさつ ぎょうほうきょう]



■勤行経典[ごんぎょう きょうてん]

 次の各経典から成り、昭和26年10月21日に印刷、同月31日に発行されました。
・勧請文
[かんじょうもん]

・回向唱
[えこうしょう]

・無量義経十功徳品第三
[むりょうぎきょう じゅうくどくほん だいさん]

・妙法蓮華経方便品第二
[みょうほうれんげきょう ほうべんほん だいに]

・妙法蓮華経如来壽量品第十六
[みょうほうれんげきょう にょらいじゅりょうほん だいじゅうろく]

・妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十
[みょうほうれんげきょう じょうふきょうぼさつほん だいにじゅう]

・佛説観普賢菩薩行法経
[ぶっせつ かんふげんぼさつぎょう ほうきょう]

・祈願唱
[きがんしょう]

・祖書要文
[そしょ ようもん]

・四弘請願
[しぐせいがん]

 現在、本宗が掲げる勧行経典は、昭和28年、初代総裁・華徳法師(豊吉師)の手により、無学大師の大曼陀羅が奉載されたものです。


■理事円融[りじえんゆう]

 「理」とは教理、理論をさし、「事」とは実践することをさします。すなわち、法門における教理と実践が融合し、一体化することをいいます。


■会費制

 本宗においては、入会金はいただきません。毎月の会費(1,000円)のみとなっています。