教えて!文殊クン おなまえ辞典

おなまえ辞典【地名編】

[ア行]

[カ行]

クシナガラ
釈尊入滅の地とされ、四大聖地の一つ。
釈尊は自身の死期が近いことを悟り、故郷のカピラヴァストゥに向かっていました。そして旅の最中にパーヴァーという村に立ち寄り、チュンダが持つ郊外のマンゴー林に滞在します。チュンダは仏教を厚く信仰しているため大層喜び、説法を聞き終えると次の日の食事に誘いました。そうして釈尊を招き入れ食事を供養したのですが、釈尊はキノコの入った料理を見て「その料理を頂くので他の料理は弟子たちに振舞うように」と言われました。
しかし、食事を終えてチェンダの家から帰る途中、釈尊は体に激しい痛みと下痢による出血に襲われるようになりました。そのため、衰弱していた体もさらに弱り、目に見えて体調が悪いのが分かったほどです。
しかし、釈尊は心配するチェンダを気遣うように「この事でチェンダは他の者から責められてしまうだろう。しかし、悟りに至った際の最初の供えた食事と、入滅に至った際の供えた食事には、何にも代えられない果報と功徳がある。」と言われました。
どうにかクシナガラについた釈尊でしたが、弟子のアーナンダに休憩することを伝え横になりました。
”そこは、今の四大聖地が釈尊亡き後、信者たちの訪れるべき場所であると予見し、遺骨は在家の者たちに供養を任せるようにと伝えたとされています。”
そして釈尊は、臨終に近づくとアーナンダに今までの感謝を言葉にし、慰めの言葉をかけました。また、自分がいなくなった後、その指標を今までの説かれた教えや戒律にあることを伝え、「アーナンダよ、悲しむのはやめよ。生じたものは全て滅するものだ(諸行無常)。汝はこれまで多くの功徳を積んできた。これからも一層努力し、迷いをなくし、境地に達するのだ。」
これが最後の教えとなり、長きに渡る人生に幕を下ろしたのです。

[サ行]

サールナート
釈尊が初めて説法(初転法輪)した地とされ、四大聖地の一つ。
それを聞いていたのは、釈尊と共に六年間修業した五比丘(ごびく)と呼ばれる出家者です。
五比丘には二人の師がおり名をアーラーラとウッダカといいました。初めは彼らに説法することを考えていたのですが、二人はすでに亡くなっていたために弟子であった五比丘が選ばれました。
内容は諸説ありますが、中道や八正道、四諦を説かれたとされています。

[タ行]

[ナ行]

[ハ行]

ブッダガヤー
釈尊悟りの地とされ、四大聖地の一つ。
29歳に城を抜け出し、35歳に悟りを開きましたが、それまで多くの苦難の末に至ったとされています。
当時のインドの修行方法は苦行であり、それに耐え忍んだ者こそ更なる道を得ることができると信じられていました。そのため若き日の釈尊も苦行を実践します。食事をゴマ一粒に減らし、座禅を組み、倒れるほど長い間息を止め、瞑想の間は暑くても寒くても動かず、何をされても動じないといった過酷な苦行を毎日繰り返したのです。
しかし、それを6年程続けてきたものの、自身の望む境地には至れませんでした。そこで、極端な苦行では解決できるものでないと感じ、放棄することを選びました。
その後苦行による疲弊から回復した釈尊は、聖地であるブッダガヤーにある菩提樹を見つけ、瞑想により悟りを開くことができたのです。

[マ行]

[ヤ行]

[ラ行]

ルンビニー
釈尊生誕の地とされ、四大聖地の一つ。
サーキャ族の王であるスッドダーナ(浄飯王)と、その妻であるマーヤー(摩耶)の間に生まれました。

[ワ行]

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